「病人をいやす秘訣」 (チャールズ&フランシス・ハンター著、1988年、日本語版) の書き起こし
「そうして、西の方から 主の御名が、日の上る東の方から 主の栄光が、恐れられる。」 (イザヤ59:19)
「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その光線には、いやしがある。」
(マラキ4:2)
(初めに) この「病人をいやす秘訣」の日本語版は、数年前までは販売されていましたが、現在は中止されているので、ここに書き起こすことにしました。
非常に良い本なので、一人でも多くのクリスチャンの方々が実践・活用してくださることを望みます。
この書は、世界中のキリスト教界に癒しの働きを巻き起こした本で、筆者も
この本を読んで 癒しの働きができるようになりました。 ただし、昨年11月に来日された癒しの器
ウォン・ジュンサン師(○)のメッセージから、彼は週に一日、7時間継続の「異言」の祈りをする、と言っており、異言の祈りを始めて4−5時間目から 悪霊が出て行くようになり、集会のいやしのミニストリーができるようになった、と語っています。 また、筆者も、2003年、癒しの器メル・ボンド師(○)に祈りの中で預言され、「異言」をたくさん語るほど 癒しがよく起こるようになる、と語られました。(メル・ボンド師は手を触れず、いやしの光線で行ないます。) 110年前の アズサ・リバイバルにおいても、「異言」と「いやし」がペアになって表れるリバイバルでした。 終わりの時の大リバイバルでは、それに加えて、「預言、幻、夢」が用いられます。 (ヨエル2:28、29)
「私は、あなたがたのうちのだれよりも多くの異言を語ることを、神に感謝します。」
(Tコリント14:18)
この書は、癒しの祈りのガイダンスですが、土台は、神様との個人的な親しい交わりであり、聖霊に満たされて実践すべきものであるということができます。
注) この本を読んでも またビデオを見ても、聖霊でなく ニューエイジやオカルトの霊でいやしや異言など行なっている場合もあり得るので、よくよく霊を見分けながら行なう必要があります。 特に聖霊派であっても教会の教義が聖書と違う部分を含む場合、わざが起こらないか、曲がって起こります。 品性の実を結ぶかどうかで見分けることができます。
この日本語訳の本に出てくる「按手」とは、任命の時の按手礼ではなく、「タッチ(手を置くこと、触れること)」の意味なので、直しておきました。 また、リビングバイブルの引用は極力避けるようにしました。
* Charles E. Hunter July 23, 1920 〜 June 22, 2010、 Frances
E. Hunter May 8, 1916 〜 July 14, 2009
2005年あたりでもわざが起こっていたそうです。 40年間 アメリカでいやしのミニストリーをされてきました。 The healing ministry of The Happy Hunters は娘のジョアン氏に引き継がれています
(目次) 本文
第1章 一つの働きのための二つの幻 第2章 重大な難関突破
第3章 手を置くこと 第4章 手を置くことプラスアルファ
第5章 病人に触れさせなさい 第6章 山に向かって語れ
第7章 見る物を得ることができる 第8章 いやしの条件
第9章 油注ぎ 第10章 とりなしの祈りによるいやし 第11章 祈りの布を用いてのいやし 第12章 病人をいやす他の方法
第13章 いやされなかった場合は 第14章 聖霊に敏感になる 第15章 悪霊を追い出す
第16章 信仰の賜物 第17章 創造的奇跡 第18章 腕と足を伸ばす 第19章 世界中に出て行って・・・病人をいやせ
いやしのハンドブック
第1章 神様の全権 第2章 神様にさわる時 第3章 神様の力で倒される 第4章 聖霊の賜物
第5章 首の事 第6章 骨盤の事 第7章 いやしを行う時 第8章 脊椎
第9章 食欲中枢 第10章 目のいやし 第11章 注意事項
第12章 「あ」から「ん」までの病気
第1章 一つの働きのための二つの幻 チャールズとフランシス著
1980年6月、神様は、私たちに 地球全体が金や銀の縞模様で覆われている幻を見せてくださいました。
しかし、そこには何の秩序もありませんでした。 これらの縞模様は世界中いたる所で熔けた金や銀の小川のように溢れており、山や谷にも流れていました。
これらの金銀の小川には何の計画性もなく、四方八方に流れていました。 広い所もあれば、非常に細い所もありました。
熔けた金銀の大きなしずくが落ちたように見える所もありました。 そこには何のパターンもありませんでした。
そして私たちは、学生たちが起き上がって、これらの熔けた金銀の縞模様の上に立つのを見たのです。
私たちは、これが何であるかよく考え始めたが、最初は単なる馬鹿でかい金銀を混ぜたものくらいにしか見えませんでした。
しかし、神様はだんだんとこの幻の意味と、それが私たちの奉仕にどう当てはまるかを明らかにしてくださいました。
この神様からの幻について考えれば考えるほど、それは神様が私たちに、いやしも含む
完全な救いのメッセージを世界にもたらし、全ての人に超自然の力で病人をいやすことを学ばせるよう命じておられるのだとわかりました。
神様が私たちにさせようと望まれていることが明らかになるにつれ、私たちの心はおどりました。 最初に、主は、私たちに 病人のいやし方について教えるよう導かれました。 私たちは、シティー・オブ・ライト・スクール・オブ・ミニストリーの学生が
金銀の縞模様の上に立っているのを見て、彼らが世界中に出て行って、現地の人々に病人のいやし方を教えるのではないか、と考えたときもありました。
しかしどういうわけか、この解釈が幻の本当の意味なのだ、という十分な確信が得られませんでした。
私たちはこの幻について考え続けました。
するとこの幻はもっと広がり、全世界にビデオによるトレーニング講座が送られるのを見ました。
宣教師も行かないような小さな所に行き、世界の果てに住んでいる人々に、病人に手を置いて彼らをいやすことを教えるのです。
そしてこのビデオテープを学んだ学生が出て行って 貧しい人々に福音を宣べ伝え、悩める心をいやし、捕らわれた者に解放を解き、傷ついている者を自由にするのです。
私たちは、こうして縞模様の上に立っていた学生の正体をはっきり知りました。
私たちは、たくさんの国々の学生を見ましたが、みんなこのテキサスの学校に来るものとばかり思っていました。
後になって、彼らは、私たちがたぶん一生会うことのない人々で、私たちをビデオを通してしか見ることがないかもしれないけれども、病人のいやしのメッセージを受け、出て行って病人に手を差し伸べていく人々だとわかりました!
今は訓練を受けた人々が、出て行って一対一で人々に奉仕していくという
偉大な御霊の働きの時なのです。 飢え渇いた人々が 「イエス様の弟子たちがしたような
超自然な働きを 私たちにも教えてください!」と訴えている今、そのための聖書学校や奉仕訓練学校がいたるところにできています。
クリスチャンの中には、神様の事についてもっと知りたいという強い飢え渇きがあり、私たちは数年のうちに、このニーズに応えるのができないほど、学校の数が足りなくなり、今すでに運営されている学校も欠員を待たなければ
入れなくなると、信じています。
今私たちは、「使徒の働き」の弟子たちのように奇跡のわざをする弟子になることが
いかに単純なことであるか、ということを人々に教える、ダイナミックで広範囲にわたる宣教に対して、神様が私たちの霊を開いてくださった
という確信を持ちました。
このことを教えた授業が終わった金曜日の次週の月曜日、神様は超自然的に、私たちのビデオテープ伝道のことについては何も知らなかったある宣教師を、私たちの学校に送ってくださったのです。
私たちは彼に病人のいやしに関する教えのテープを十四時間分あげました。
火曜日には、神様はもう一人の宣教師を送ってくださいました。 私たちは彼にもテープを全セットであげました。
彼はアフリカでビデオデッキを持っていましたが、テープをとても必要としていたのです。 彼は2週間もたたないうちに電話で報告してくれたのですが、タンザニアで300人ほど入るビルを借りて、新聞に小さな広告を一つ出したところ、教えのテープを見たい人々が入りきれないほど来たそうです。
たくさんの人々がテープを見ていやされ、18人が救われ、その次の日曜日に洗礼を受けたのです!
たった2−3か月のうちに、ペルーのリマで、カトリックのカリスマ派の中にビデオによるトレーニング学校が始まったのをはじめ、ボリビア、フィリピン、またアフリカの3か国で
学校ができ、このいやしの「ノウ・ハウ」シリーズのリクエストは 世界中から来ています!
このすぐ後、私たちがカンザスでいやしのセミナーを開いたとき、カーク・パトリック牧師が、終わりの時に関するある預言について話してくれました。
それは、イエス様が来られる直前の終わりの時だと信じられている今、このいやしの教えが
主を愛し従う人のためにどんな役割を果たすか、という信仰の確信を与えてくれました。
私たちが、ジョン・M・ガードナーと ドローシー・M・ガードナー著の「適切な預言T」と題された本の出版社に連絡して、左記の有名な伝道師トミー・ヒックスの1961年の預言を印刷する許可を得たとき、私たちの本は序文以外はもう植字の用意ができていました。
キリストの体と 終わりの時の働きに関する幻:
私のメッセージは7月25日の朝2時半、カナダのウィニペグで始まります。
神様からの幻と啓示が来た時、私はまだ眠りについたばかりでした。 幻は、1961年7月25日の朝、詳細にわたって
寸分たがわず 三回来ました。 私はこの啓示によって非常に感動し、また心かきたてられた結果、キリストの体と終わりの時の働きについての私の考えは
全く変わってしまいました。
イエス・キリストの教会に与えられた最も偉大なものが、私たちの目の前にあります。
神様が終わりの時に人々に与えようとしている賜物を、人々に知らせ、理解させることは、大変なことです。
私は数週間前、アフリカのナイロビの現地人の宣教師から 手紙を受け取りました。
この人と彼の妻は、タンガニーカに行こうとしていました。 彼らは読み書きはできませんでしたが私たちはもう2年以上彼らを援助していました。
タンガニーカの領内に入った時、彼らはある小さな村を通りがかりました。 その村は全部、伝染病のために避難していました。
彼らは泣いている現地人たちに出会って、何が起こったのか尋ねました。
彼は、彼らの両親が3日前に突然亡くなったことを聞かされました。 彼らは家を出なければいけませんでした。
家に入るのが怖くて、死体は小屋に残したままでした。 彼は死体を残した場所を尋ねました。
彼らが小屋を指さしたので 彼は一緒に来るように言いましたが 彼らは断りました。
恐れていたのです。
この現地人と彼の妻は小屋に行って、両親が三日間死んだままになっていた所に、入っていきました。 彼はただ、主イエス・キリストの御名によって手を差し伸べ、両親の名を呼んで言いました。 「イエス・キリストの名によって、いのちが あなたがたの身体に戻ることを 命ずる。」 イエス・キリストを救い主として受け入れたことがなかったこの二人の異教徒は、一瞬のうちに 起き上がって、すぐに神様をほめたたえました。 神様の霊と力がこの人たちの命に入ったのです。
私たちには、こんなことはおかしな現象に見えるかもしれませんが、これが終わりの時の働きの始まりなのです。
神様は、何もできない人、つまらない人、聞いたこともない人、何の役にも立たない人を選ばれるのです。
主は 選ばれた男女に、神様の霊の注ぎを与えられるのです。
使徒の働きで神様はこう言われました。 「終わりの日に、わたしの霊を 全ての人に注ぐ。」 主が「わたしの霊を
全ての人に注ぐ。」と言われた意味を、私たちは本当に理解しているでしょうか。
私は十分わかっているとは思いませんし、また その全てを理解できていませんが、ヨエル書にはこう書いてあります。
「シオンの子らよ。 あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。 主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜わり、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨を降らせてくださるからだ。」(ヨエル2:23)
ただ初めの雨と後の雨が降るというだけでなく、神様は終わりの日に、二倍の神様の力を人々に与えようとしておられるのです!
私が眠りに落ちて幻が現れたとき、私は 自分がずいぶん高い所にいるのに気がつきました。 私がどこにいたのかは知りません。 しかし、私は地上を見下ろしていました。 突然、地球全体が私の視野に入りました。 すべての国、全ての人種、すべての民族が、東西南北から私の前に現われました。 私が行ったことのある国々や都市は、みな見覚えがありました。 私は自分の前の大いなる光景を見て恐れておののいていました。 そして全世界が見えてきた瞬間、稲妻と雷鳴がありました。
稲妻が光った時、私は地上を見下ろしました。 私は北を向いていました。
突然私は、何か大きな巨人のようなものを見ました。 それを見つめていた私は、その光景に当惑しました。
それは非常に巨大で、彼の足は北極に、頭は南極に届くほどでした。 手は海から海へと広げられていました。
私はこれが山なのか巨人なのかもわからないほどでしたが、見ているうちに、突然巨人であることがわかったのです。
彼の頭は必死にもがいているようでした。 彼は生きようとしていたのですが、その体は頭から足までゴミでおおわれていました。
時々この巨人は体を動かして起き上がろうとしているかのように見えました。そしてその時、何千もの小さな生き物が逃げているように見えました。
身の毛がよだつような生き物がこの巨人から逃げて行き、彼が静まると、また戻ってくるのです。
突然 巨人が片手を天に上げ、またもう片側の手も上げました。 その時 何千という生き物が彼から逃げて行き
闇夜に消えていくように見えました。
ゆっくりと巨人は起き上がりはじめ、彼の頭と手は雲の中に入っていた。
彼が自分の足で立ち上がった時、彼は身についていたくずと汚れをきれいにしていたようだった。
そして彼は、手を天に上げて 主をほめたたえているようでした。 彼が手を上げると、その手は雲の中に入っていきました。
突然雲が、今まで私が見たこともないほど きれいな銀に変わりました。 私はこの情景を見ていましたが、それは偉大過ぎて、私にはその意味を理解することはできませんでした。
私はこれを見て動かされ、主に向かって叫んで言いました。 「おお主よ。 この意味は何ですか。」 私はまるで自分が御霊の中にいるように思われ、眠っていても主の臨在を感じることができました。
突然この雲から 大きな光のしずくが この巨大な巨人の上に降りだしました。
ゆっくりと巨人は溶け始め、地球の中に沈んでいきました。 溶けるにつれて、その形全体が地表に溶けていくように見えました。
そして ものすごい雨が降りだしました。 光のしずくが地上にあふれはじめました。
そして、溶けているように見えたこの巨人を見ていると、突然それは地上で何百万もの人々になりました。
目の前の光景を見ていると、人々は世界中に立ち上がりました! 彼らは手を上げて
主をほめたたえていました。
ちょうどその時、天から大きな雷が落ちました。 天に目を向けると、突然
私は 輝くばかりに白い人を見ました。 これほど栄光に輝いているものを、私は今まで見たことがありませんでした。
私は、顔は見えませんでしたが、それが主イエス・キリストであることはわかりました。
そして主は、一人一人に手を差し伸べられました。 そして、主が 世界中の国々や人々に、−男も、女も−手を差し伸べて、彼らを指さされると、この光の液が主の手から彼らの上に注がれ、神様の力強い油注ぎが
彼らに下ったのです。 そして彼らは 主の御名によって出て行きました。
私が これをどのくらいの間見ていたかはわかりません。 何日も何週間も何か月も経ったかのように
思われました。 私は、この手を差し伸べ続けているキリストを 見ていましたが、悲しむべきことが起こりました。
主が手を差し伸べられると、たくさんの人が神様の油注ぎと 召しとを 拒否したのです。
その中には、私の知っている人たちもいました。 間違いなく神様の召しを受け入れるだろうと
思っていた人々です。 しかし、主が彼らに手を差し伸べられたとき、彼らはただ頭を下げて後ずさりしました。
そして おじぎをして後ずさりした人たちは、皆それぞれ暗闇の中に入っていくようでした。
暗黒が 彼らを飲み込んでしまったかのようでした。
私は、戸惑いを感じながら見ていましたが、何十万もの世界中の人々、アフリカ、イギリス、ソ連、中国、アメリカなどの人々が油注ぎを受け、主の御名によって出て行きました。 私は、出て行こうとしている人々を見てみました。 労働者もいれば、洗濯婦もいるし、金持ちもいれば貧乏人もいました。 私は 中風や 病気や 盲目や 聾唖(ろうあ)に苦しんでいる人々を見ました。 主が彼らに油注ぎを与えるにつれ、彼らは良くなり、いやされて、出て行きました。
そして奇跡的なことが起こりました。 栄光ある奇跡です。 彼らも、主がなされたと同じように 手を差し伸べました。 それはあたかも彼らの手には同じ液体の火があるかのようでした。 彼らは手を差し伸べて言いました。 「私の言葉通りに、いやされなさい。」
これらの人々がこの終わりの時の力強い働きを続けていたとき、私はそれを十分理解することはできないで、主を見上げて言いました。
「この意味は何ですか。」 主は言われました。「これは、わたしが終わりの日にしようとしていることです。
わたしは、噛みつくいなごや バッタや 食い荒らすいなごが破壊したもの すべてを
回復します。 この わたしの民は、終わりの時に出て行きます。 強力な軍隊のように、地上を一掃します。」
私は高い所にいたので、地球全体を見渡すことができました。 私は、これらの人々が地上を行ったり来たりしているのを見ていました。 突然 アフリカにいた人が、神様の霊によって取り去られて、ソ連や中国やアメリカや その他の所に行ったり、またその逆のことも起こりました。 これらの民は世界中に出て行き、火や 疫病や 飢餓の中を通ってきました。 火も 迫害も 何も彼らを止めることはできないようでした。
怒った群衆が剣や銃を持って 彼らに向かってきました。 しかし、イエス様のように、彼らは群衆の中を通り抜けて行き、群衆は彼らを見つけることはできませんでした。
彼らは主の御名によって出て行き、いたるところで手を差し伸べ、病人はいやされ、盲人の目は開かれました。
そこには長い祈りはありませんでした。 その幻を何回も私の心で、いろいろと考えているうちに、私は、一度も教会を見なかったことに気がつきました。 教団も一つも見聞きしませんでした。 ただ、人々が、万軍の主の御名によって出て行っただけでした。 ハレルヤ!
彼らは出て行って、キリストの 終わりの時の働きを 地上の全ての人々にもたらしました。
彼らが立ち上がって、この終わりの時の、来るべき王国のメッセージをすると、何万、いや何百万という人々が
主イエス・キリストのもとに来ました。それは栄光にあふれていましたが、そこには反抗的な人もいて、怒って、このメッセージをしていた人々を攻撃しようとしました。
神様は、この終わりの時に、今までこの世が体験したことがなかったような働きを表わされます。 これらの人々の身の上はいろいろで、学歴などは何の意味もありません。 私は これらの働き手が、地上を行き巡るのを見ていました。 一人がつまずき倒れると、もう一人が来て 助け起こします。 そこには自己の高ぶりも、他人の蔑み(さげすみ)もなく、高い者は下げられ、低い者は高められていました。 彼らが共通して持っていたものは、神様の愛で、それは 彼らが一緒に働き、一緒に暮らす、そのただ中に流れ出ていました。
私はこれ以上光栄ある光景を見たことがありませんでした。 イエス・キリストは彼らの人生の主題でした。
この光景は私が立って見ている間 何日も続いているように見えました。 私はただ泣き、そして笑いました。
この終わりの時に、彼らが世界中を行き巡って実を結ぶことは 本当にすばらしいことでした。
私が天から見ていると、時々この光の液体の大雨が 大ぜいの会衆に降りました。 すると神様の霊が彼らの上に下り、その会衆は何時間もいや何日間も 神様をたたえ続けました。 神様は、「わたしの霊を全ての人に注ぐ。」と言われましたが、これはまさにそうでした。 そして男も女もこの力を受け、神様の油注ぎを授かり、神様の奇跡を受け、それは終わりを知りませんでした。
私たちは、奇跡について話してきました。 私たちはしるしや わざについて
話してきました。 今朝4時に、現地人の働き人から来た手紙を もう一度読み直して、私は泣かずにはおられませんでした。
それはもうこのことが始まっていることのあかしです。 この、「何もできない、名もない」人が、手を差し伸べて言ったのです。
「主イエス・キリストの御名によって、あなたの体の中に 命が流れ込むことを命ずる。」と。
私はひざまずいて再び祈り始め、言いました。 「主よ。 私は これから起ころうとしていることを知っています。
それがもう間もないことを信じています。」
そして これらの人々が地上で行き来しているとき、迫害がいたるところから起こり始めました。
突然、もう一つの雷が落ち、世界に鳴り響き、私は再び声を聞きました。 その声は こう言っているようでした。 「さあ、これはわたしの民です。 これは、わたしの愛する花嫁です。」 声がこう語った時、私は地上を見ていると、湖や山が見えてきました。 そして墓が開かれ、世界中のあらゆる時代の聖徒がよみがえりました。 彼らが墓からよみがえると、突然たくさんの人々が 四方八方からやって来ました。
東西南北から集まってきた人々は、また あの巨大な体を形作っているように見えました。
まず、キリストにあって死んだ者がよみがえりましたが、それは 私の理解を超えていました。
それは非常にすばらしく、夢に見ることも、想像することもできないほどでした。
突然、再びこの体が形作られていき、もとの力強い巨人の形に戻ったのですが、今度は 前とは違っていました。 それは非常に美しい豪華な白を装っていました。 その着物には しみも しわもありませんでした。 そしてすべての時代の人々が この体に集められてきました。 それはだんだんと天にまで達し、突然天からイエス様が来て、頭になり、また雷が鳴ってこう言いました。 「これは、わたしが待っていた、愛する花嫁です。 彼女は火の中を通って来るのです。 わたしは彼女を最初から愛していました。」
私は見ていて、急に目を北に向けました。 そこには破滅がありました。 男も女も
叫び苦しみ、建物も倒れていました。
そして私は 4番目の声を聞きました。 「今、わたしの怒りが 地上に注がれています。」 世界の果てから神様の怒りが注ぎ出され、神様の激しい怒りの鉢が
地に向けてぶちまけられたようでした。 私はそれを、一瞬 前に起こったことのように憶えています。
私は 町々や国々が破滅していく ひどい光景を見て、震えおののきました。
泣きわめく声が聞こえました。 叫ぶ声が聞こえました。 彼らは泣きながら洞窟に入っていきましたが、山の中の洞窟は開かれてしまいました。
彼らは水に飛び込みましたが、水は彼らを溺れさせることはできませんでした。
何も彼らを滅ぼすことはできませんでした。 彼らの命を取ろうとしても、それはできなかったのです。
そこで私は、また美しく輝いている白い衣を着た栄光ある体の方に 目を向けました。
だんだんとそれは地上から上げられ、私は 目が覚めました。 私は何という栄光を見たのでしょう!
私は終わりの時の働きを見たのです。 再び、7月27日の朝の2時半に 同じ啓示、全く同じ幻が来ました。
私は、終わりの時に住んでいることを知った時、人生が変わりました。 世界中で、神様は、この働きのために人々に油を注いでおられます。
教義ではありません。 教会でもありません。 それは、イエス・キリストです。
彼らは 主の言葉を宣べ伝えて、言うでしょう。 「私は幻の中で何度も そう聞きました。
私の言葉の通りになるでしょう」と。
皆さん、聞いてください。 私の言葉の通りになります。 私たちは神様からの力と
油注ぎを 着ます。 私たちは説教をして、公衆の面前でやじられる必要はありません。
人や 教団に 頼ることもありません。 私たちは、生ける神様の力を持つでしょう。
何物も恐れず、万軍の主の御名によって 進むのです!
この、20年を隔てて与えられた二つの幻に、私たちが発見したものを、あなたは
お分かりになりますか。
第2章 重大な難関突破 チャールズとフランシス著
私たちは、私たちの周りの全ての世界に、福音を宣べ伝える任務を与えられています。 これを成し遂げるただ一つの方法は、イエス様が成されたような 奇跡の実践です。
「この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によって いのちを得るためである。」 (ヨハネ20:30、31)
私たちはこの世の最後にいます。 すべてのキリストの体は、もう間もないイエス様の再臨に 急いで備えなければなりません! 私たちは超自然的な力で 全ての親族、種族、民族に宣べ伝えなければいけません。 どうやって、こんなことをする事ができるのでしょうか。 超自然的なことは教育されうる、と 信じることによって可能になるのです。 世界中の多くの人々が、突然、聖霊の超自然的な働きにまで成長し、病人をいやし、悪霊を追い出し、人々に
生きて力あるイエス様を現わしていくということを、私たちは霊で感じています。
これは、任命された福音の働き人に限られたことではなく、群衆をも含んでいます。
神様は私たちに油を注いでくださり、この数年の間に学んだ単純な病人のいやし方を、人々に紹介するように導かれています。
その簡単な方法は私たちの役に立ちました。 数千人がいやされました。 私たちはすでにたくさんの人々に、病人をいやし、悪霊を追い出す方法を教え、彼らはそれを体得しました。
あなたも学ぶことができるのです。
今、神様は私たちに この教えを世界中に広めるよう命じられました! 盲人の目は この本によって開かれます。 神様のいやしの力について新しい洞察を受けると、伝統的なもので曇っていた霊的な目から、うろこが落ちるでしょう。 神様にとっていやしとは、決して複雑なものではありません。 それは非常に単純なのですが、人間が難しい事にしてしまったのです。 偉大な医者、イエス様は、地上でのいやしの働きを私たちに与え、信じる者は、病人に手を置くといやされる と言われました。 (マルコ16:18)
人々はいやされるというのは、本当に神様のみ旨なのでしょうか。 ちょっと調べてみましょう。
「イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。 すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。
『主よ。 お心一つで、わたしをきよめることがおできになります。』 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『そうしてあげよう(I will.)。 きよくなれ。』と言われた。 すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。」
(マタイ8:1−3)
そうです。 あなたがいやされるのは 神様のみ旨なのです。 「私は、神様の栄光のために病気になっています。」とふれ回っても、神様の栄光にはなりません。
病気は、神様の栄光にはならないのです。 神様に栄光をもたらすのは、いやしと健康です!
らい病人がイエス様にいやしを求めたとき、彼は、こう言いました。 「主よ。
お心一つで、私をきよめることがおできになります。」 イエス様の答えは何でしたか?
イエス様は言われました。 「そうしてあげよう。 きよくなれ。」 イエス様はあなたをいやしたいのですか。
イエス様はらい病人に何と言われましたか。 主は、「そうしてあげよう。」と言われたのです。
主は全く同じことを、今日あなたに語っておられるのです。 (口語訳にもこのように書いています。)
ヘブル書13:8によると、イエス・キリストは、 「きのうも、今日も、いつまでも、同じです。」 いやすことは神様のみ旨ですか。
答えは、否定形ではなく、「はい。」なのです。
では、私たちが病人をいやすのは、神様のみ旨ですか。 あなたがた信じる者が 病人をいやすのだ、というと、よくびっくりする人がいるのですが、これも調べてみましょう。
まず最初に頭に浮かぶ”宗教的”な思いは、あなたがいやしをするという言い方は、神様とイエス様の栄光にならない、ということです。
イエス様は、私たちに与えられた偉大な使命の中で、病人に手を置くと彼らは治ると、ごく単純に言われました。
(リビングバイブルではもっと簡単です。「・・・病人に手を置けば、病気は治ります。」(マルコ16:18)) イエス様は言われました。
「わたしを信じる者はわたしの行なうわざを行ない、また それよりもさらに大きなわざを行ないます。 わたしが父のみもとに行くからです。」 (ヨハネ14:12)
病人をいやすには、いろいろな方法があります。 病人をいやすことがいかに簡単であるかということを神様から教わった時、私たちを驚かせたいくらかのことを、この本で紹介したいと思います。
神様の言葉によると、癒しは単純なのですが、人間がそれを複雑なものにしようとしているのです。
この本は、あなたに、イエス様の御名による病人をいやす方法を教え、全ての栄光を神様に帰することを教えます!
もし一つの方法がうまくいかなかったなら、ほかの方法を試してください。 もし神様が、私たちにたった一つの決まった方法でいやすことを望んでおられたのなら、聖書の中で、神様はあんなにたくさんの方法でイエス様にいやさせたりされなかったでしょう!
私たちの友人が、Tコリント12章に説明してある 霊の賜物を使っているところを、ある牧師が見ていました。
彼は「私にもこれらの賜物が使えるように、何かの糸口を与えてくれませんか。」と言いました。
その友人は、チャールズとフランシス・ハンターが教えてくれました。」と言いました。
彼は驚いて言いました。 「あなたは、超自然的なことを教えることができるとでも言うのですか。」 はい。 できるのです。 この牧師は、三日間のセミナーに来て、私たちは彼に御霊の賜物の使い方を教えました。 帰ってから、彼は9つの賜物(Tコリント12:8−10)全てを使うようになり、一緒に働いていた牧師たちにも教えました。 それは、良い結果を生んだのです!
私たちは、ある眼科医を訪ねたのですが、彼は、患者の目にレーザー光線を当てる機械を取り入れた所でした。
彼の説明によると、もし目の中に小さな穴があるならば、その穴の位置に正確にこのレーザー光線を当てて、ボタンを押すと、一瞬のうちに穴は閉じられるのです!
穴を閉じるのはこの眼科医ではありません。 このいやしを成し遂げるのは、彼のいやしの力ではありません。
それは、熟練した医者の手によって導かれたレーザー光線なのです。 本当にいやしたのは、レーザー光線の効力であり、エネルギーであり、能力なのです。
しかし、このエネルギーを適用したのは 眼科の医者なのです!
長血をわずらっていた女が、イエス様の着物のすそにさわって、いやされたとき、イエス様は ご自分の体からいやしの力が出て行くのを感じられました。 (マルコ5:30) イエス様はあの眼科医のように、聖霊の力を使って力強いいやしをなされる、偉大な医者なのです。 聖霊は徹底した教師で、神様の栄光のために学んだことを使おうとしている人に、教えることを途中で止めたりしません。
病人をいやすことは感動的です! それはイエス様が望まれることです。
それは神様のみ旨です。 そして、御霊に満たされた信者にとって、それは当然のことです! なぜ、もっとたくさんの人々が
病人をいやさないのでしょう。
「わたしの民は、知識がないので 滅ぼされる。」 (ホセア4:6)
この本は、あなたが、あなたの周りの人々をいやし、世界に出て行って病人をいやすのに必要な知識を与えてくれます。
みんなに読んでもらいたい すばらしい聖句があります。 みなこの聖句を知り、行動に移すべきです。
それは出エジプト記14:15です。
「主はモーセに仰せられた。 『なぜあなたは わたしに向かって叫ぶのか。
イスラエル人に 前進するように 言え。』」
神様があなたに語られていることは、これなのです。 「なぜあなたは わたしに向かって叫ぶのか。
イスラエル人に 前進するように 言え。」 (・・・祈り・求めでなく、与えられた御名の権限によって 直接 語る・命令すること)
この大きな難関を突破して、超自然の力を使うことを学びましょう!